「大人たち」の審判員

川田 剛
(島根県サッカー協会所属、サッカー2級審判員、フットサル4級審判員、サッカー3級審判インストラクター、サッカーC級コーチ)

 2024年7月、私は島根県吉賀町にある「よしかみらい」に隣接する施設で、新規審判講習会で講師を務めた。受講者は地元の高校サッカー部員である。彼らは県リーグなどの副審も担当するため、審判資格を受講する必要があるのだ。その中に一人、およそ高校生世代とはかけ離れた受講者がいた。

 名畑聡さん(42歳)である。

 しかし、この年代の受講者は決して珍しいものではない。昨今では、審判員の若手育成プログラムが各地域や都道府県において実施されており、若手審判員の活躍はメディアの紹介などもあって注目されることがある。しかし、プレーヤーを引退し、指導者としてチームに関わるようになる方や、スポ少などの活動で子どもたちのサッカーに役割として審判を担当する方など、新たに審判員になる「大人たち」も当然いるため、この会場にも3名の「大人たち」が4級審判員になるために受講している。

 3名の内のひとりは今季から地元高校サッカー部を指導することになった若手顧問であり、もうひとりは、私と地元サッカースクールで指導するコーチで、ともに指導者として受講している。

そして「大人たち」最後のひとりである名畑さんであるが、彼は指導者ではない。彼は、兵庫県宍粟市に生まれ、サッカーは小学4年生から始めた。

▶名畑聡さん

 「サッカーにおけるトップの世界が見たい」と思いたち審判活動をはじめ、2006年、32歳の時に2級資格を取得した。2006年、兵庫県国民体育大会(現在の国民スポーツ大会)が開催されたが、名畑さんは滑り込むようにサッカー競技のピッチに立つことができた。その後は、兵庫県リーグや関西リーグの主審をはじめ、Jリーグのサテライトリーグの副審なども経験した。

 仕事の関係で転勤が続き、審判活動もままならなくなった時、「もうこれ以上審判活動は続けられないかもしれない」と、ワッペンを外した。決して簡単に取得できる資格ではないことはわかっていた。しかし、仕事の都合とはいえ、ここまで審判活動ができないとなると、「関係者にも迷惑をかけるのではないか」と考えるようになり、審判資格の年度更新を自ら行わなかった。

 2012年、28歳の時である。

 2014年から島根県西部が主な仕事の拠点となったとき、中古ではあるが島根県吉賀町の家を購入した。若い頃は県をまたいでの転勤が続いたが、結婚し、子どもも生まれ、持ち家を持った以上、上司から通勤圏外への転勤を強いられることは無くなったといえる。吉賀町が彼の生活の拠点となり、当然子どもたちも地元の保育園や地元の学校へ通う。彼にとって吉賀町は移住の地であるが、子どもたちにとって吉賀町は地元であり故郷となる町である。

 彼の子どもが保育園に通っていた時だった。園児を対象に、地元の社会人サッカーチームがサッカー教室を開催しているのを知った。「我が子がサッカーに興味を持ってくれればいいな」、そんな簡単な気持からサッカー教室に参加させた。サッカー教室とはいえ園児たちが選手と一緒にすることといえば、ボールを使って楽しく身体を動かすようなもので、小さな子どもたちにとっては「お兄さんたちが一緒に楽しい遊びをしてくれる」時間だった。

 小学生になったとき、地元小中学生のサッカーチームである鹿足サッカースクールに入団した。

▶練習前に我が子とボールを蹴る名畑さん

 我が子を毎週練習会場であるよしかみらいグラウンドに送迎する中で、いつも目にするものがある。

 「島根 かみあり国スポ・全スポ 2030 吉賀町 サッカー競技会場地」

 吉賀町のよしかみらいは、島根県益田市、浜田市とともに、2030年に開催される島根県国民スポーツ大会のサッカー会場地に決定している。

 「まだできるかもしれない」

この練習会場に足を運ぶたびに目にするその横断幕は、彼の「審判を再開したい」という思いを駆り立てた。そして、この会場に来るたびにその思いはだんだんと強くなっていった。そんな時ある情報を耳にする。

▶よしかみらい入口に掲げられているかみあり国スポ・全スポ 2030 吉賀町 サッカー競技会場地」の横断幕 


 「よしかみらいで新規審判講習があるらしい」彼はパソコンからJFAキックオフのページを開き「新規審判講習 島根県 サッカー審判員」で何度も検索する。しかし、ヒットしなかった。いてもたってもいられなかった彼は、直接島根県サッカー協会に問い合わせることにした。聞けば、地元高校サッカー部を主とした講習だった。結局、関係者を通じてよしかみらいでの受講が許された。講師は我が子と一緒のチームメイトの保護者でもある私、川田だった。名畑さんは私に、過去に2級を保持していたこと、2030年に向けて2級審判員に再度挑戦したいことを伝えた。

 新規審判講習は、講義と実技指導がある。講義は「眠くなるかもしれない」と名畑さんは不安に思ったが、講義はあっという間に終了した。審判活動から離れたとはいえ、サッカーと決別したわけではない。気になる試合があれば見てきたし、誤審など判定に関する記事などにも目を通してきた。競技規則の改正も詳細には調べてなくても大体のことは何となくわかっていたつもりだった。しかし、詳細な改正までは追いついてなかった。

 空白の時間を取り戻すかのように、自分の知識の答え合わせをするように審判講習を聞き入った。数日後、彼のスマートフォンが認定されたことを知らせてくれた。そして間もなく、審判委員会の地元支部から審判の依頼があった。

 再デビュー戦は県中体連総体1回戦の副審で、よしかみらいが会場だった。名畑さんは「講習会も久々の審判活動も新鮮に感じた」と胸の内を打ち明ける。その日のよしかみらいでは、1回戦の試合が2試合開催された。彼は第1試合の副審を担当した。その試合で一緒に審判チームを組んだ中に、懐かしい顔があった。

 この地域で笛を吹いていた頃、地域の支部長だった岸根克也さんだった。この試合の主審が岸根さんだった。岸根さんは“2級審判時代“の名畑さんのレフェリングを知っており、この地域を担う審判員の一人として気にしていた。それから、会う機会もなく顔を見なくなり、存在も忘れかけていた。しかし、数年たったこの日、岸根さんは4級の緑色のワッペンを付けた名畑氏と再会をはたすこととなった。それも、同じ審判チームの仲間として。

 岸根さんにとっては、名畑さんの緑色のワッペンが不自然に移ったに違いない。昔の名畑さんを知る岸根さんには、今回審判チームを組んだ名畑さんはどのように映ったのだろうか。私は、岸根さんに連絡し、名畑さんのことについて話を聞いた。

 「初めて名畑君のレフェリングを見た時は、ボールをぐいぐい追いかけていくモビリティ、1990年代のAFCのトップ・レフェリーのアルシャリフ(シリア) のような躍動感を感じたよ。判定も適格だし、セレモニーも上手く、選手とのコミニケーションもとれている、明らかに上級審判員だったよ。

 今年の県中総体で割り当てを見た時は、名畑⁇ もしかして…… 県中総体で久しぶりに再会すると懐かしい顔が、しばし近況報告となったね。以前にお話しした時は、バーンアウト的な感じで審判活動に対する意欲が失われつつある過程かな⁇と感じてたけど、再会してみると環境の変化もあり審判活動、サッカーに係る喜びと意欲が再燃していることが感じられたよ。

 打ち合わせの後、キックオフされた試合を一緒にコントロールすると、昔と変わらないスプリントは健在、ARとしてのワークもフラッグ・テクニック、アイ・コンタクトも素晴らしく、楽しい時間を共有できたし、終わったあと自然と笑い顔になり、お互いに充実感を共有したなぁ。現代フットボールでは若手審判員の活躍が素晴らしいけど、今年のEURO2024でもオルサート(イタリア)、A・テイラー(イングランド)。AFCではファガニ(イラン)、南米では、ラパリーニ(アルゼンチン)など40代後半のベテランも活躍してる。若手審判の強化育成も重要だと考えるけど、ベテラン審判員こそ地域の審判活動に欠かせない、合わせて審判文化の啓蒙も出来る存在だと僕は思うよ。名畑君もその一人として活躍してほしいと願ってる、心からね!」

 岸根さんは、名畑さんの審判活動の再開に期待と新たな希望を見出している。この地域の審判委員会益田支部長である小川浩輝さんも名畑さんについて「走れるし、十分やっていけるんじゃないかな」と好印象だ。

▶緑色のワッペンから再スタートを切った名畑さん
 

 将来を嘱望された若手審判員は、地域のビッグゲームに割り当てられる一方で「大人たち」のレフェリーもまた、週末のそれぞれのゲームに駆り出されている。

地方における少子化の波は、サッカーの審判員にも影響を与えている。地方で学校の統廃合が進むのと同時に、少年少女がプレーするサッカーチームもまた生き残りをかけた戦いを続けているからだ。サッカーに関わる選手の絶対数が減少しているのであるから、当然審判員を目指す者も限られる。

 ユース審判員として育成しても、多くの若者は学校を卒業したら近隣の都市圏に進学や就職をするのだから、地方の若手審判員は都市部に比べて断然少なくなる。大学や専門学校がない田舎の地域にとって、審判員の確保は喫緊の課題だ。

 前述の小川さん、岸根さんも全身にテーピングをグルグルに巻いて、満身創痍の中でピッチを掛けまわっている。だが、確かに身体は痛いが、目の前で起こるエキサイティングなプレーに沸き、時にレフェリングによるコントロールでゲームにスパイスを与え、若手にはない経験という武器を使いながら「大人たち」の審判員は審判員の立場からサッカーを“楽しんで“いるのだ。

 名畑さんが40歳を超えても挑戦を続けるように、全国には多くの「大人たち」の審判員が目を輝かせてピッチに立っている。

 ワールドカップアジア最終予選が開幕した(この執筆の前夜が中国戦。7‐0で日本が勝利)が、日本サッカーが成長してきた過程には、こうした全国の「大人たち」の審判員が身を挺して審判活動している支えがあることも留めておいていただければありがたい。

 

 がんばろう、「大人たち」の審判員!