RA鳥取理事からのお知らせ

 みなさん、こんにちは。RA鳥取理事の高垣です。今回の五県の持ち回り寄稿は鳥取県の番です。栄えある一回目はフレッシュなRA島根理事の川田さんの素敵な記事でしたので、鳥取は本県のレジェンドにお願いしました。審判員として、RAとして、長きに渡ってご活躍いただき、現在も後進の指導に精力的に取り組んでいただいている西原賢(元県審判委員長、前RA鳥取理事)さんに、これまで歩んでこられた道の一端を振り返っていただきました。

RAJと審判活動

                                RA鳥取  西原 賢

 11月上旬、RA鳥取の理事である高垣県審判委員長より突然の電話。「西原さん、Whistleに寄稿をお願いできないだろうか。」「なんで」と私。最初は、お断りしましたが、“待てよ。それなりの歳になったということで書いてみるか。”と思い立ち、PCに向かいました。思いつくままに、RAJや審判活動の関りなどを書いてみたいと思います。

1 RAJに入会

 何といっても、「トヨタカップ(現FIFAクラブワールドカップ)」の警備観戦です。無料で欧州チャンピオンと南米チャンピオンの試合が見ることができる。こんな魅力的なことがあったら、だれもが惹かれると思います。すぐに入会して、国立競技場に警備観戦に参加しました。対戦は忘れましたが、ゴール裏の最前列で観戦したことは忘れません。写真は、その時のスタッフジャンパーです。

その後、試合会場が横浜国際総合競技場に変更になりましたが、RAJ総会や懇親会に参加しました。当時、私は2級審判員でした。1級審判員や国際審判員を経験した皆さんと身近にふれあい、その経験が聞ける機会は多くなく、自らの力になる素敵な時間でした。また、全国交流会も楽しい思い出です。コロナ禍の影響で暫く参加していませんが、ぜひ参加したいと思います。

2 サッカー審判との関り

 メキシコオリンピックで、日本が銅メダルを獲得。サッカーブームが起こった頃、中高校生時代を過ごし、プレーをしていました。一時、競技から離れていましたが、再燃させたのは、1985年に鳥取で開催された「わかとり国体」でした。私の地元で、サッカー競技(成年男子)が実施されました。目の前で素晴らしいゲームと1級審判員の皆さんの活躍を見るにつけ、「サッカーに携わりたい。」と思うようになりました。

 当時のサッカー仲間に相談し、審判を始めました。まもなく、下手なりに県内の社会人リーグの主審や高校選手権の審判に指名されるようになりました。誘われるまま、1987年、米子で開催された2級昇級テストを受験しました。2日間で実技(主審・副審)、体力試験(12分間走・50m走)、筆記試験を行うハードなものでした。この時、実技点は良かったのですが、不合格。翌年の三月に広島で2回目の試験。追試験だという安易な気持ちで受けたためか、不合格。一時は2級を諦めましたが、中国高校県予選、県高校総体、天皇杯県予選などの審判をしていると、もう一度チャレンジを、という気分になり、3度目のチャレンジを決意しました。3回目の2級昇級テストは島根県浜田市でした。主審実施後の体力テストでしたが、12分間走で、3,000m近く走ることができると共に、筆記テストもよく、合格。2級審判員の仲間に加えていただきことになりました。

 その後、2級審判員として、中国大会に数多く参加し、中国地域に多くの仲間を作ることができました。今考えると、中国大会は私にとって至福の時間だったかもしれません。現実から離れ、サッカー好きな仲間とサッカーを楽しむ。競技をする人には申し訳ないですが、そんな時間だったような気がします。

3 若い審判員のみなさんへ

 皆さん、多くのアドバイスを受けましょう。

 審判後の振り返りで、インストラクターの先生方や多くの先輩からアドバイスを受けると思います。「あ~、また始まった」と思うこと、「う~ん、確かに」と思うこと、いろいろだと思います。アドバイスをすべて受け入れていては大変ですが、とにかく受け入れてみてはいかがでしょうか。やってみて、自分に合わなければやめる。合えば、受け入れる。アドバイスは聞いてみて、やって見ることと考えます。みなさんが今回より次回、さらにその次、と良い審判ができることを期待します。