メンバーズシップと
中国サッカー審判協会
(RA中国)
元中国審判協会(RA中国)理事長
元中国サッカー協会審判委員長
綱島 四郎
1 メンバーズシップ
かつて、中国地域の審判員は、揃いの紺のブレザーにグレーのスラックスを着用し、胸のネクタイには、JFA や RAJ のマークが入っていました。私は、2級審判員に登録された時、この揃いのブレザーを着られることに、ある種の喜びと優越感を持ったことを覚えています。

当時は、揃いの紺のブレザーを仲間意識の深まり、つまりメンバーズシップの表現と思っていましたが、今の審判員の皆さんには理解し難いことだと思われます。
今は、個性が尊重される世の中で、ユニフォームとしての考え方はあるとしても、生活の場での揃いの服装は考えにくいと思われます。
しかし、当時の私には、何の疑問も違和感もなく、逆に、揃いのブレザーとグレーのスラックスを着用できることに、ある種の仲間意識や絆の強さを感じ高揚感さえ覚えていました。それが、メンバーズシップに起因するものかどうかは分かりませんが、単純に中国地域の審判仲間に入れたことに誇りと自覚を感じていたのは確かです。
先日開催された、パリ・オリンピックとパリ・パラリンピックでは、各国の選手団は、お揃いのユニフォームで入場してきました。この状況と、私の言う紺のブレザーの話しは次元が異なりますが、ある意味、国と言う大きい意味でのメンバーズシップが根底にあるのではないでしょうか。
ある日の中国サッカー大会の宿舎となった旅館での出来事です。私たち審判員は全員、畳の大広間で雑魚寝をしていました。夜中に帰ってきた先輩審判員に「起きろ ! 」と、起こされて「審判とは、何ぞや?」と、長い審判経験を背景とした高尚な(?)お話しを伺ったことも懐かしい思い出です。
奈良国民体育大会(当時、現、国民スポーツ大会)の成年の部の宿舎は、確か、地区の公民館(?)を借り上げていました。審判指導者や先輩審判員はステージの上に、我々若手審判員は畳の大広間に雑魚寝でした。夜になると、あちらこちらから聞こえてくるいびきの合唱、横の方の寝言と歯ぎしり、それを乗り越えて眠れたのもメンバーズシップのお陰かと懐かしく思い出します。
早朝からのランニング、その後、ご近所の婦人方のご好意でまかなわれた朝食を頂き、競技場へ移動、一日4試合のスケジュールに全て付き合い、自分の審判と仲間の審判のサポート、宿舎へ帰って反省会(当時、現、振り返り)。洗濯をして眠りにつくのは深夜。
次の日はまた早朝よりトレーニング。この繰り返しの毎日にも関わらず、不思議に不満はなく、それよりも全国大会で審判ができるという喜びの方が大きかったと記憶しています。その根底にも、全国から集まった審判仲間と、お互いに助け合って審判活動をしているというメンバーズシップが根底にあったのかと思います。
翻って、今の審判員の皆さんは、恐らく宿舎は個室、割り当てられた試合を担当するのみで、他の審判員のレフェリングを見る機会は少ないのでは・・・と言う状況ではないでしょうか。審判員の恵まれた環境は大切です。
私も、中国サッカー協会審判委員長の時は、審判環境の改善を目指して尽力してまいりました。審判員の環境の改善は大切なことです。ただ、審判員としてのメンバーズシップの醸成については、今後、一工夫必要かなとは感じています。
2 中国サッカー審判協会(RA中国)の初代理事長 (故)沼野博氏を偲ぶ
約40年前に岸記念体育館で「日本サッカー審判協会設立総会」が開催され、RAJ が発足しました。RAJの設立後に、元国立競技場で開催された、欧州/南米クラブの勝者が雌雄を決するインターコンチネンタルカップ(TOYOTA CUP)での警備観戦をRAJ会員が担当する事になりました。 また、それに合わせて元国立競技場の一角にあった「レストラン」で、日本サッカー審判協会(RAJ)の総会が開催されました。
当時のJFA審判委員会委員長の浅見先生とRAJ理事長の永嶋先生が中心となり多くのRAJ会員が参加していたと記憶しています。 審判委員長の浅見先生は、当時、イングランドのインスペクター制度を参考にして、サッカー審判員指導組織(インスペクターシステム)を立ち上げられインスペクター(現:インストラクター)を任命し、インスペクターレポート(現:アセスメントレポート)を提案されました。この組織づくりが、現在の「審判員総合登録制度」に繋がり、審判員と審判インストラクター制度の発展に大きい功績を上げられたと考えられます。 また、日本サッカー審判協会の設立も、当時のイングランドの審判協会の「メンバーズシップ」を参考にして、審判員や、インストラクターの親睦を中心に考えられたのではないかと拝察します。
RAJ構想は、永嶋先生が中心となり、当時の1級審判員や地域の審判員の多くの方の入会を得て、順調にスタートしたと記憶しています。 イングランドでは、審判員やレフェリーインスペクターが、審判活動の ON と OFF の切り替えで、親睦を目的とした活動を大切にしていたようです。
当時のRAJの説明では、「審判委員会は、縦の組織である」、「審判協会は、横の組織で審判員の資質の向上を図り、審判員の待遇改善にも資すると共に、何のしがらみもない、親睦団体を目指したい」と言う主旨の話しがあったように思います。
RA中国の初代理事長は、広島県の1級審判員の沼野博氏(故人)が就任されたと記憶しています(このあたりの記憶は定かではありません・・・間違っていたらお許しください)。彼は、確か、広島市の中心街、広島市役所の近くで、サッカーショップ「JAPA(ジャパ)」を経営されていたと思います。私は、広島市でサッカー大会があった時は、必ずと言ってよいほど、「JAPA(ジャパ)」のお店にお邪魔していました。
かなり広いサッカーショップで、奥の事務所部分には、来店者がサッカーのVTR等を見ながら、憩える場所(サロン)が提供されていました。確か、シャワールームもあったと思います。これが、イングランドにある審判協会の原点かと思いました。
沼野氏は、当時のJSL1部(マツダSC)で優秀な選手として、選手を引退後は1級審判員として活躍されサッカーに関する造詣も非常に深く、中国サッカー大会の時に宿泊したホテルで、彼と一杯飲みながら(彼は、あまり飲まれなかったが・・・)、サッカー談議に時を忘れて話し込んだことも度々でした。
彼は、「つなさんよう、わしゃーこう思うが、あんた、どう思う?」などと、常に前向きなアイディアを示され非常に濃い付き合いで、今でも感謝の気持ちと懐かしさは忘れていません。彼は、アイディアマンでした。副審のフラッグ、インソール(靴底)、サッカー人形、それに、ホイッスルなどの審判用具の小物の開発などを思い出します。
副審のフラッグは従来一色でしたが、彼は斜めで2色にし非常に鮮やかな色で見やすくなりました。また、旗が支柱に巻きつかないように回転する部品も考案されました。インソールは、今やスポーツ選手や障がい者の世界では常識になりましたが、当時は非常に珍しい発想でした。彼はスポーツ選手だけでなく幅広い分野に普及を働きかけていました。サッカー人形は、確か、彼がデザインして博多人形の窯元へ交渉して作成されたと思わ れます。出来上がったばかリの人形を私に見せて「つなさん、これ、どんなかなー」と言った時の、彼の得意顔が私の脳裏に焼き付いています。今も私の机の上に飾っておりますが、近いうちに、審判をしている孫に譲ろうと思っています。

彼は、「JAPA(ジャパ)」のお店を核として、RA中国のメンバーズシップの礎を築かれたものと心から感謝しています。 合掌
3 中国サッカー審判協会(RA中国)とメンバーズシップ
RA中国の歴史については、元 RAJ社員(中国地域理事)の木村孝之氏が、RA中国のホームページに、「わたしとサッカーとRAJの思い出」と題して寄稿されていますのでご覧ください。木村氏の記事にも記載されていますが、RA中国は、常にメンバーズシップを根底に据えた運営を心がけていたと思います。その一つが「サッカー交流大会」でありました。RA中国としての広島、山口、島根、鳥取、岡山、5県の交流大会は長く続いています。
RA中国の理事長として長くご尽力いただきました岡部氏からバトンタッチを受けた私は、RA中国の各県理事の皆さんと相談して、RA中国の組織づくりを提案しました。
先ず企画したことの一つは、RA中国の規約づくりでした。RA 九州の渡邊理事長さんのご好意から、RA 九州の規約の提供を頂き、RA中国並びに、RA中国5県の規約づくりから手をつけました。
また、交流事業は継続しつつも、「Jリーグ観戦研修と懇親会」を企画し、広島ビッグアーチでの、サンフレッチェ広島のゲーム観戦をした後、広島市内のホテルへ移動して「担当主審と語る会」等を開催していました。
2015年12月5日(土)には、 J1チャンピオンシップ最終戦がエディオンスタジアム広島(当時)で、 19時30分キックオフとなった時は、RA中国、初の試みとして「TVビューイング」で、J1チャンピオンシップ観戦と懇親会の同時開催にトライしました。
午後7時30分、会場のスクリーンの画面に、紫色のユニフォームのサンフレッチェ広島と、白色のガンバ大阪選手の入場が映し出されると、TVビューイング会場では大声での声援が飛び交い、次の西村主審の甲高いキックオフの笛と共に興奮度は更に高まりました。

なお19時からの開会行事では、1級インストラクターご勇退の岡山県の渡邊氏と木村氏、1級審判員合格の広島県石丸氏へ、仲間から花束が贈られました。

2018年12月22日(土)には、第3回RAJ全国交流サッカー大会(平成30年日本サッカー審判協会(RAJ)総会・懇親会)が広島市で開催されました。
午後の全国交流サッカー大会は、広島修道高校グランドで、応援団を含めると60名を超える参加者が集まり、午前中は小雨が降っていましたが午後になると奇跡的に青空が広がり、広島でも、この時期には珍しいぽかぽか陽気で最高のコンディションとなりました。
14時30分からの開会式では、私(RA中国の綱島理事長)の歓迎の挨拶に続いて、 RAJ高田副会長の開会挨拶、地元RA広島の有本氏の選手宣誓。審判団の紹介後、15時、第1試合のキックオフの笛が吹かれ熱戦がスタートしました。
チーム分けは、イーストチーム、関西チーム、ウエストチームのリーグ戦とし、10分ハーフ(ハーフタイム若干、自由な交代)で行いました。
審判団は主審として、前年に続いてご参加頂きました奥澤浩氏、早嵜和幸 初美ご夫妻が担当。地元広島から女子審判員2名が副審を担当しました。
試合結果は、イースト:関西(1:1)、関西:ウエスト(0:2)、ウエスト:イースト(0:0)で、ウエストチームが優勝しました。得点者は、山本匡敏氏(イースト)、陶浪聡太君(関西 12才)、宮部智之氏・平章人氏(ウエスト)と仲良く一点づつの得点となりました。なお最高齢は関西の藤田利明氏(80才)、最年少は関西の陶浪せなさん(8才)で、得点者と最高齢者・最年少者は夜の懇親会で「RAJ タオル」が贈呈されました。

懇親会は18時30分キックオフで、宿舎の「広島ダイヤモンドホテル」の別館大ホール「バラの間」で100名近い参加者をお迎えして盛大に開催されました。

この全国交流大会を開催して、私が一番感謝したかったことは、 中国審判委員会委員長の南さん(当時、現、RA中国理事長)が中心となって、中国5県の審判委員会の委員長さんに働きかけて頂き、各県審判委員長さんのご理解を得た上で、RA中国と中国審判委員会が手を携えて運営に当たったことです。中国地域の審判協会と審判委員会のメンバーズシップの強さを示すことが出来ました。しかも、運営経費の一部負担も頂けました。重ねて記しますが、第3回全国交流大会運営の背景には、RA中国と中国5県の審判委員会とのメンバーズシップがあったのです。このことは、その後のRA中国の運営に良い結果を残していると思います。
今、また、思い出されるのは、RA中国の初代理事長(故)沼野博氏の経営していたサッカーショップ「JAPA(ジャパ)」の事務所の一角にあった「懇親スペース(サロン)」のことです。メンバーズシップの醸成には、人が集まれる場の提供が望まれます。同じ思いを一つとする仲間が、常に集える場があるということは大切なことです。中国地域では、町が分散し、仲間が一か所に集う事には大変な困難が伴います。かってのサッカーショップ「JAPA(ジャパ)」のような、サッカー仲間がいつでも集えるような場(サロン)があれば、サッカー仲間の輪や絆が、どんどん拡がり、メンバーズシップに裏打ちされた仲間意識が向上し、更に新しい仲間意識を育て輪が拡がっていくのではないでしょうか。
日本審判協会(RAJ)は法人化などの再編、オンラインイベント、若手審判員海外挑戦、など活動の輪が拡がっています。(故)沼野氏は、単なるメンバーズシップではなく、その基盤として「個の尊重」を大切にされていました。RA中国は、一人一人を大切にしたメンバーズシップによって運営されています。
RA中国理事長の南浩二さん、中国サッカー協会審判委員長の前田拓哉さんの強いきずなで、今後、益々、サッカーファミリーの輪が拡がることを祈念しています。
令和6年(2024年)10月
VTRで、プレーの展開や主審の動きを追いながら、主審へのアドバイスを同時録音しています。「振り返り」で、何分に、○○があったと話しても主審として思い出せないケースもあるので、VTRの同時録音は審判指導法の一つのテクニックとして効果的です

追 伸
サッカーの審判員にとって、審判用具は非常に大切なものです。中でも「審判着」は、審判員としての権威を示す最たるものです。

かつて、私が審判をしていた頃に、一時期、真夏のゲームでも長袖の着用が求められていました。その理由は、かってイングランドの審判員がブレザーを着用していたことにヒントを得たのか、審判の権威としてか半袖は非公式だとのことで、長袖を推奨された時期がありました(非常に暑く大変でした)。この写真は、昭和45年(1970年)10月1日発行の当時の3級審判手帳に記載されている審判員のイラストですが、私は、この様な姿で審判をしたことはありません。
翻って、今年の夏の異常な酷暑の中での地方の大会でも、審判員は相変わらず黒色の審判着を着用しています。今年の猛暑の中でのゲームでは、試合中の熱中症による審判交代や、その他のトラブルも起きているのではないでしょうか。
RAJでは、審判着や審判用具の販売をされていると思いますが、審判着や審判用具の改良も考えては如何でしょうか。競技規則を見ると、選手のユニフォーム規程や主審の用具についての記載はありますが、審判着についての規程は見つかりません。私が審判をしていた頃の審判着は、色々な種類があって、上着の襟や袖、ストッキングの折り返しが白色のものもありました。また、ワイシャツ型のものもあったと覚えています。
そこで、真夏の審判着については、シャツの襟元や袖を広くして、着丈も短くしてショーツに入れなくても良いような風通しの良いデザインは難しいのでしょうか。また、薄い素材で、太陽を反射するような白色を基調とし、ブルーや、イエロー、ピンクなど薄い色を、縦しまとしてメッシュで入れては如何でしょうか(私は、つなしまですが・・・関係ありませんか・・・)。ショーツもストッキングも同様の薄い素材で縦じまを入れます。勿論、真冬の審判着にも一工夫が必要です。保温性と吸水性(汗)を兼ね備えた厚い素 材で、背中には「カイロを入れるポケット」を付けるとか、副審は手袋を着用するとか、これだけ激しい気温の変化に対して発想の転換が必要ではないでしょうか。
特に、これから更に地球温暖化が進むとすれば、真夏の気温の上昇と共に、真冬の寒さも、更に厳しさを増すと推測できます。審判員の安全と命を守る審判着の改良も必要になってくるのではないでしょうか。
また、春と秋物、夏物、冬物とデザインを変えることで、若干、審判員の負担は増えるかも分かりませんが、経済の好循環(?:RAJの運営)にも繋がるのではないでしょうか。
としよりのねごとでした。