サッカーに魅了されて
過去そして現在

島根県サッカー協会
サッカー2級インストラクター
中路 修

 草サッカーの経験しかない私に声をかけ審判の世界に呼び入れて頂いた当時の島根県審判委員長の佐々木義隆氏を中心に活動していた1970年代後半の島根県2級審判員の状況は次のようでした。

 当時の島根は4地域に地区協会がありそれぞれ地区審判長が主に割当を担当していました、それを取り纏めているのが県審判長でした。

松江地区は(大内氏、奈良井氏、中路)、出雲地区(祝部氏)、浜田地区(柴田氏、山口氏、森氏、長野氏)、益田地区(岡崎氏、山根氏、和崎氏)が現役2級審判員として活動していました。

 島根県内の公式試合で2級審判員がアポイントされるのは1種(県社会人リーグ、中国社会人県予選、中国学生リーグ)、2種(高校選手権、県総体)、3種(県総体)という状況で1日に主審2試合、副審(当時は線審)1試合が当たり前に割当てられ特に夏の時期は審判着には汗が干上がり塩が付いたまま審判したことを思い出します。

 国民体育大会が島根県で開催される事により前後して一気に2級審判員が増えていきその後島根県初の1級審判員として太田氏が登録され現在に繋がっていく事になりました。

 和菓子屋を営みながら休日はサッカー三昧、その後インストラクター、チームの代表としてもサッカーに関わり45年が過ぎ今は4人の子育て全て担って貰った妻とゲーム観戦、時にインストラクターの手伝いまでサッカー大好きになった妻に感謝の現在です。

中路修