中国サッカー審判協会
川田 剛
(島根県サッカー協会所属、サッカー2級審判員、フットサル4級審判員、サッカー審判3級インストラクター、サッカーC級コーチ)
1.プロローグ
小さなサッカースクールが主催したU12カテゴリーの小さな大会の決勝戦での出来事である。ゴールに入るボールを手で止めてしまい、得点の阻止によるレッドカードを提示された向井謙斗さんはピッチから離れた場所で泣いていた。その時の主審は私だ。初めて向井謙斗さんの試合を見に来た祖父の目の前で、赤いカードは示されたのだ。当時、小学校5年生の彼には非情なものだった。私は今でも、あの退場は必要だったのか、ふと思い出すことがある。優勝決定戦という大事な場面で、0-0の試合の状況での得点の阻止。競技規則の規定では100%レッドカードだとは思うが、果たして小さなクラブ主催の小さなカップ戦において、小学5年生に退場という懲戒処置を果たして競技規則は求めているのだろうか。彼は今、U15リーグのピッチに立っている。選手として、そして時に片手にフラッグを持って、である。サッカーは中学校に入ってからも続けた。副審をするのは、審判をするのが好きだからではない。チーム帯同の審判として任されているだけである。多くのユース審判員の立ち位置は、「若いサッカーの主審」ではなく、「チームの試合の前か後の試合の副審をしなければならない若い審判員」ではないだろうか。このチームでは審判資格を持った中学生は彼を含め、チームの全員が該当する。コーチである私は帯同副審の1人にあえて向井謙斗さんを選んだ。その試合の3日前、チームの練習試合での出来事だった。保護者が見守る場所から小さな歓声が沸き上がった。
2.言われた通りのフラッグアップ
オフサイドの反則であることは、オフサイドポジションにいた競技者にパスが出された瞬間にその場にいた誰もがわかった。すぐにでもフラッグを上げたくなるタイミングであったが、そのフラッグは、ワンテンポ遅れて、いや、オフサイドポジションにいた競技者が触れた瞬間まで正確に我慢された。ボールの動きとともに副審はスライドし、“ドンピシャ”のタイミングで立ち止まり、バサッとオフサイドを示すフラッグを上げた。同時に主審のホイッスルの音色とともに、オフサイドの反則が示された。夜のグラウンドで、反対サイドの副審の顔はよく見えない。知らない新たな指導者か高校生がやっているのだろう、ベンチにいた保護者たちはそう思ったらしい。「上手いですね。誰ですか。あの副審は」その保護者は思ったままに私に声を掛けた。まさかその副審が中学生で、かつ、よく知る向井謙斗さんだとは思ってもみなかったようだ。彼のフラッグアップは、その後もゲームを見守るコーチや保護者たちを唸らせた。オフサイドラインを監視するサイドステップ、左手に持つフラッグ、時折見せるスプリント。体格こそまだ中学生だが、フラッグ技術は副審そのものだった。「よかったよ」私が声を掛けると、「エへへ」と笑みを浮かべた。嬉しかったのではない、ただ戸惑っただけなのだ。本人からしたら言われた通りに走り、言われた通りにフラッグを持ち、そして言われた通りにフラッグアップしただけのことである。しかし、審判員の多くがそのことができていない。
紅白戦で副審をする向井謙斗さん。
クロスステップでフィールドに正対している
3. 4級審判員は審判員全体の85%
日本サッカー協会によると(※)、2022年度における日本のサッカー審判員(フットサルを除く)は4級から1級まで268,045人登録されている。その内訳は4級228,626人、3級35,372人、2級3,777人、女子1級55人、1級215人である。審判員のスタートラインである4級審判員は、審判員全体の85%を占めているのが現状だ。(ちなみに、島根県協会登録の審判員は2,070人)そして、その審判員を指導・評価・認定審査をするのがサッカー審判インストラクターである。サッカー審判インストラクターは、3級から1級そしてS級と、級によって指導や評価をする対象が4段階に分かれている。4段階に分かれているサッカー審判インストラクターの登録者数は合計してもたったの2,862人で、その割合は、たったの0.01%である。(島根県協会登録のサッカー審判インストラクターは48人。その割合は0.02%)2,862人のインストラクター、が268,045人の審判員を指導・評価することが簡単ではないことは容易に想像いただけるのではないか。4級審判員資格を取得しても、インストラクターから指導を受ける機会は更新講習などに限られる。実践での指導となると、3級昇給を目指す審判員以外、ほとんど目にすることは無いのではないだろうか。
4.審判員なしで試合は成立しない
「ユース審判員との打ち合わせで、オフサイドラインのキープをお願いしても、試合の最後まで集中が続かないことがある」そう語るのは、島根県サッカー協会審判委員会益田支部長の小川浩輝氏だ。支部長の小川氏は続けて、「チームの指導者には審判員の指導もして欲しいな」と切実に語った。サッカー協会から派遣された審判員がチーム帯同の審判員と直接話をする機会は限られる。試合前の打ち合わせと、試合後のわずかな時間である。とはいえ、試合前の打ち合わせも、わずかしかできないことがある。副審を担当する試合の前の試合に選手として出ているため、ギリギリになって本部テントに訪れる者もいるからだ。その後、両者が試合で再び同じ審判団として顔を合わせる機会は、試合の組み合わせや協会派遣審判員の割り当て、同じユース審判員が選ばれることなど、偶然と偶然が重なるような、まさに奇跡の再開を期待するしかないのだ。ただ、向井謙斗さんのサッカーの審判環境は違った。サッカーの練習で行われる紅白戦など、指導者が審判についても指導を行っているのだ。最近では、練習や試合の無い土日に、シニアの練習試合の審判を依頼されるまでになった。そのシニアの試合では、主審にチャレンジした中学生も出てきた。指導者が付き添い、指導や助言をする。シニアの選手から「中学生なのにライマン(副審の意味。旧称のラインズマンの略)うまいわ。審判育てるってええことじゃ。大事じゃね」と話しかけられたことも。また、地域の上級審判員も招へいし、外部からの指導もお願いをしたこともある。指導の内容は難しいことではない。副審の基本的な姿勢、フラッグの持ち方、走り方など、4級審判員認定講習会で習うようなことを改めて聞く、そんな内容だ。しかし、実践の指導があるから、フィールドに正対できるようになるし、サイドステップが当たり前になる。フラッグは音も意識して振れるようになった。最近ではファウルサポートもチャレンジしている。向井謙斗さんが審判をする時に心掛けていることは何かと聞くと「公平にジャッジすること。僕も選手なので選手の気持ちはわかりますからね」と返ってきた。小学生時代の“あの退場”のことについて聞いてみたが、彼は「あぁ、ありましたね。サッカーや審判員をすることの影響は全然ないですよ」と。レッドカードを出した方は、今も鮮明に覚えているが、当の本人は全く気にも留めていない。ホッとしながらも、頼もしさを感じた。(向井謙斗さんは笑いながら“あの退場”について答えてくれた)ユース審判員の指導はチームにも影響を与えることになった。「審判員なしでは試合は成立しない。自分たちがサッカーをすることができている環境を当たり前と思うのではなく、審判員にもリスペクトしなければいけないよね」向井謙斗さんを指導する鹿足サッカースクールの監督である藤田圭二氏は、審判員の育成に必要性を感じている。「審判を子どもたちや指導者にやらせるんじゃなくて、やってもらっているんだ、という感謝の気持ちを伝えないといけない」という。鹿足サッカースクールでは、公式戦やトレーニングマッチなどで審判員を務めてくれた選手や指導者にはチーム独自の審判手当の支給を始めた。偶然にも今年度からこの地域のU15審判員の手当が500円から1,000円に増額した。その理由は、U15審判員に、より責任を持ったレフェリングを期待してのものだそうだ。倍増の手当に中学生が魅力を感じないはずはない。中学生にとっては大金である。手当があるから審判員をして欲しい、というわけではないし、手当の額が増えたから、審判員をやってみないか、ということでもない。大人の審判員であろうと、中学生の審判員であろうと、プレーする選手からしたら同じ審判員だ。レフェリングには大人の審判員と同等なレフェリングが求められることから考えると、責任の重さを手当で補填することは当然認められる対応ではないだろうか。
向井謙斗さんは笑いながら“あの退場”について答えてくれた
練習試合で副審を務める広瀬颯さん
5.夢は国体のレフェリー
現在、この地域では、ユース審判員の育成をどのようにしていくか検討を始めている。高校生からU18・3級審判員を目指す子どもたちも出てきた。鹿足サッカースクール出身で現在は島根県立吉賀高等学校サッカー部に所属する高校1年生の広瀬颯さんは、U18・3級審判員を目指している1人だ。中学時代は、チーム帯同での副審はもちろん、U12の県大会のトレーニングマッチの主審も経験させてもらった。審判を積極的にチャレンジする理由を聞くと、「僕は選手なので、競技規則を理解していると、サッカーに役立つんです。競技規則を理解すると面白いです」と、審判をする動機を語ってくれた。では、広瀬さんはなぜ上級審判員を目指すのか。「2030年の国体(国民スポーツ大会及び全国障害者スポーツ大会。2030年は「島根かみあり国スポ・全スポ(愛称)」として島根県で開催される)で吹きたいんです」と目を輝かせる。7年後に開催される島根国体のサッカー競技会場のひとつは、広瀬さんが小中学校時代に所属していた鹿足サッカースクールの、そして現在所属している吉賀高校サッカー部の練習グラウンドである島根県吉賀町の「よしかみらい」だ。いわば広瀬さんのホームグラウンドなのだ。2030年の国体のピッチに立つ夢を語る広瀬さん)審判員として、育ったホームグラウンドで国体サッカーのピッチに立つ夢を、広瀬さんはすでに思い描いていた。広瀬さんが上級審判員を目指す上で求めているのは何か。「あまり審判をする機会がないので、審判をする機会や、審判の技術を磨く機会を設けてほしい」ことだという。ユース審判員の多くが選手を兼ねている。選手がサッカーの練習をしながら、審判の練習をすることは容易ではない。サッカーの練習は様々な機会が設けられているが、審判の実践練習となると紅白戦か練習試合、公式戦といった「試合」になってくる。サッカーの練習頻度に比べると各段に練習の機会が少なくなるのは言うまでもない。当然選手であれば、サッカーの練習がメインとなる。数少ない審判をする機会を見つけてチャレンジするしかないのだ。広瀬さんが所属する、吉賀高校サッカー部の部長・波多野哲史氏は「指導者はどうしてもサッカーがメインになってしまいますね。試合では自身の主審や引率のこともあるので、ユース審判員の育成は、できても試合の後に話すことくらいかな」と。実は、波多野氏も2級審判員資格を保持されており、審判員がおかれている状況をよく理解されている方のひとりである。波多野氏は続けて「ただ、サッカーは審判員なくしては成立しないので、審判員の育成は大切だと思います。広瀬君の3級チャレンジも関係者と協力しながら支援していきたいです」と話してくれた。続けて波多野氏に、広瀬さんが2030国体を目指していることを伝えてみた。「え、知らなかったです。そうなんですか!?すごいですね。がんばってもらいたいですね。」と、彼の挑戦に波多野氏は弾むような声で答えてくれた。
6.ワクワクしながら審判活動を
令和5年4月下旬、この地域の4級審判員認定講習会が開催された。この講習会には28名のユース審判員(U15)が参加している。審判員になりたくて参加したわけではないかもしれない。チームの帯同副審を務めなければならないから、という理由がほとんどだろう。「少年少女の試合にも、Jリーグやなでしこリーグのようなプロリーグの試合にも審判員が必要です。サッカーのルールは、どのカテゴリーも一緒。新たに審判員になった方々には、どのようなゲームでも、ワクワクしながら笛を吹き、旗を振り、審判を楽しんでもらいたい」そう語るのは、講習会の講師を務めたサッカー2級審判インストラクターの石橋稔明氏である。きっかけはどうあれ、踏み出した審判員の世界だ。向き不向きもある。そして「ワクワクしながら」審判員をやるまではまだ時間が必要かもしれない。それでも旗を振り、ジャッジをしなければならない瞬間がいつかやってくる。その時に備えて、いい準備をしてもらいたい。
2030年の国体のピッチに立つ夢を語る広瀬さん
7.ユース審判員の育成に力を
ユース審判員の育成を始めて、少しずつ蒔き始めた種が、わずかではあるが芽を出し始めてきた。サッカーは選手だけでは成り立たない。審判員はサッカーを取り巻く環境のひとつでもある。そしてユース審判員は帯同副審ではなく、資格を持った「サッカー審判員」である以上、サッカーファミリーの一員として、ユース年代のサッカーの指導に携わる方々には、ユース審判員の育成にもぜひ力を注いでいただきたい。審判員の育成は、サッカーの発展やサッカーの成長にきっとつながってくる。私は、いつの日か、彼らがサッカーの大きなステージで、審判員という立場でも活躍してくれることを期待している。「それまでは、私も負けてはいられない」と、この記事を執筆しながら随所に感じたところである。